大きな家のボロキッチン
別居だったはずなのに! ある日突然の「壁紙選んでね」という義母の言葉に呆然、あれよあれよという間に同居のための改装終了。 卯年生まれの私も義母が雑事から解放された年齢になりました。うさぎが茨の道を脱出できる日はいつ?
免許証返上で想像以上に迷惑を被ってる毎日です。
生活の上で負担はないのですけど、精神的にやられます。
防戦一方だった昔の方が精神衛生上は不思議と楽に感じます。それだけ怒りのエネルギーって心も体も蝕むのでしょうね。
怒鳴ったりわめいたりするわけではないけど、内にこもった怒りの消化に疲れます。
昔はもっと理不尽なことだらけだったのに。考える暇もなくこき使われてたってことですかね。
寝室のエアコンが不調で、蒸し暑い夜になかなか寝付けず、この部屋をめぐっての過去を思い出しました。
壊れてしまえ!と恨み辛みの思いしかなかった、このエアコンもいざとなると買い換えるには躊躇しかありません。
元々は小姑が使っていたこの部屋は、一悶着も二悶着も経て息子たちのための子供部屋となりました。
息子の大学進学を機に空き部屋となった部屋を私たち夫婦が使うことを許されませんでした。
家には一つくらい空き部屋が必要だという義母のわけのわからない主義主張や、小姑の里帰りした時の部屋が欲しいという実家への執着が原因で。
嫁たる者云々を語ってきた義母と小姑だけど、小姑自身が嫁の立場になると都合のいい屁理屈で実家への執着をあらわにしてきました。
里帰りの部屋を確保しろって、なんなの!
大きなこの家で私たちの専用スペースはアパートより狭いっていうのに、息子が使っていた空き部屋の用途まで指図する神経が理解できません。
義母にはリビング横の和室とは別に続き間の仏間もあるのに、
まだ部屋を確保したいと嫁に出た小姑がいえば、それに同調する義母。
当時、義父はまだ健在で、住んでる人を差し置いて嫁に出た者がごちゃごちゃ言うのはおかしいと言ってくれましたが、それが火種になってすごい揉め事になりました。
馬鹿げた話で、今の私なら切れてしまいそうですが、当時は傍観するのが一番の保身だと思っていました。
このゴタゴタの最中に、もう一人の小姑の離婚がじわじわと迫っていたのです。
でも、義母も部屋を確保したがる小姑も、この時は離婚問題を知らされてなかったようでした。
この頃から、空き部屋の用途、もう一人の小姑の離婚、義父の発病、資金繰りの更なる悪化、いろんなことが絡んでぐちゃぐちゃでした。
嫁に来たらこの家の人間だからと私を実家から遠ざけてた義母は、自分の娘はいつまでも実家、とにかく実家なのでした。
部屋の行方は次回に書きます。
にほんブログ村
にほんブログ村
にほんブログ村
PR
この記事へのコメント