大きな家のボロキッチン
別居だったはずなのに! ある日突然の「壁紙選んでね」という義母の言葉に呆然、あれよあれよという間に同居のための改装終了。 卯年生まれの私も義母が雑事から解放された年齢になりました。うさぎが茨の道を脱出できる日はいつ?
前回の続きです。
私たちの占有面積はなくとも部屋数はある家です。
続き間の仏間だって仏壇以外はなーんにも置いてない、普段使わない部屋です。
そこへ布団を敷けば済む話なのに、なんでフローリングのエアコンもない部屋に固執するのか理解できませんでした。
部屋は他にもあるのに、子供部屋として使っていた息子の部屋を外からぎゃあぎゃあ指図される理不尽さが本当に嫌でした。
嫁に出た小姑がなんでまたそこを牛耳ろうとするのか、図々しいにもほどがあります。
ボロキッチンのあるワンルームはタンスも学習机も何もかもが押し込められた狭い空間でした。
夜は、その狭い空間に布団を敷き詰めるようにして親子四人で雑魚寝のような感じでした。
そんな環境でも地獄の家政婦から脱出した私にとってはパラダイスでした。
長男が小学五年の時、やっと子供部屋として一部屋使えるようになり、小さな空間に二段ベッドと学習机が二つ押し込められました。他には小姑が残していった傾いた本棚代わりのカラーボックスやベニヤがベコンベコンになったタンス、埃とダニが染み込んでいそうな絨毯にくたびれたカーテンももれなくいただきました。
片付けていけ!と苦々しい思いで処理に困っても捨てることができずに家具の配置に苦慮したことを思い出します。
大きな家に住んでいながら、息子たちが個室をもらったのは随分と成長してからなのです。
田舎の家で部屋があるのに使えない、そういう生活でした。
やっと、小姑らもいなくなってやれやれと思ったのに、嫁に出てもうるさいことこの上なく、まして離婚となったら当たり前のように舞い戻ってきたのです。
私たちには自由にならない空き部屋の一つは出戻り小姑の部屋になりました。
その上、まだ里帰り用の部屋が欲しいというもう一人の小姑と同調する義母。
義父やマザオが口を出せば、そのとばっちりはなぜか私に来る不可解さでほとほと疲れ、部屋なんか要らないと宣言するに至りました。
小姑の里帰り用の部屋を確保したことで一件落着のはずが、
テレビとエアコンを用意しろとの仰せに、当時に私は茫然自失、怒る気力もありませんでした。
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