大きな家のボロキッチン
別居だったはずなのに! ある日突然の「壁紙選んでね」という義母の言葉に呆然、あれよあれよという間に同居のための改装終了。 卯年生まれの私も義母が雑事から解放された年齢になりました。うさぎが茨の道を脱出できる日はいつ?
今思うと、何で私がやらなきゃならないんだ!どうして首を突っ込んだんだ!と自分自身にも腹が立つことばかりです。
そんな反面、おかげさまで反撃が始まった今は事あるごとに過去の数々が私の武器になっているのですけど。昨日の夕飯でも、過去の義母らの言動を一つ取り上げるだけで相手は撃沈ですからね。苦労した甲斐があった?のかもしれません。ばからしい話ですけど。
とりわけ台所での苦労は枚挙に暇がありません。
小姑のお弁当も毎日私が作っていたのですが、どうしてそんな事態になったのか思い出せません。
この家を建てた時、私のために台所を作ったというようなことを言われました。
どんなキッチンがいいかなんて何も聞かれてないですけど。
ビルトインのガスオーブンは小姑の希望ですし、白い大理石調の収納は義母の選択ですし。
そういえば、調理台の高さを決める時に私に合わせたと言われたような気がします。
これが後々、「あなたに合わせたあなたのキッチンなのだから」と炊事と掃除の一切を任される一因になるなんて思ってもなかったのですが。
一度、お弁当は自分で作って欲しいと放棄しようと試みたことがあります。成人した小姑のお弁当を何で幼子を抱えた私が作らなきゃいけないんだと毎日思ってたから。
でも、なかなか言い出せず、やっとの思いで恐る恐る口にしたのでした。
さすがに体裁が悪かったのか、御託を並べて私を持ち上げ、お弁当代を払うと言いだしたのです。
月額2千円で。
はい?
これ小姑二人分ですよ!一人月額千円で弁当作れってことです。
たった二千円でももちろん欲しかったのですが、とても引き受ける気にはなれませんでした。私が毎朝作ってる弁当の価値が二千円と言われたことが衝撃でした。
それで義母が作ることになったのです。
当たり前です。
ところが、弁当を作ろうとした義母が冷蔵庫を開けて叫びました。
「おかずにできるものが何もないじゃない!」
「何なのこれは!」
激昂です。
義母って私から見てもお世辞にも料理上手とは言えません。
かまぼこと鶏ひき肉が欲しかったようで、それがないから弁当は作れないと放り出しておしまいでした。最初から作る気がなかったんでしょうね。
結局、ボロキッチンができるまで私の理不尽なお弁当作りは続いたのでした。(怒)
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この記事へのコメント
大変でしたね。
Re:大変でしたね。
なかなかお返事が書けずに申し訳ありません。
良い嫁はとうに辞めてるつもりです。(笑)
現状の中、出来る範囲で自由を満喫したいと思いつつ..思うようにいかないものですね。^^