大きな家のボロキッチン
別居だったはずなのに! ある日突然の「壁紙選んでね」という義母の言葉に呆然、あれよあれよという間に同居のための改装終了。 卯年生まれの私も義母が雑事から解放された年齢になりました。うさぎが茨の道を脱出できる日はいつ?
子供の頃は楽しかったのに、いろいろありすぎて
大嫌いになりました。
特にお正月は...
本当はあのなんとも言えない泡立た氏さの中に哀愁漂う年末の雰囲気が大好きでした。
辛い家政婦生活の中、朝から必死で働き、夜の帳が下りる頃に幼い息子を連れて近所のイルミネーションを見に行くのが楽しみでした。
それもいつしか、帰宅が遅いとかやることをやってないとか、とにかく私が出かけることに対して文句が出るのが嫌で行かなくなりました。
クリスマスだってホームパーティ病の最たる行事で誰のためにこんなに大変な思いをしてるんだって...
ある年は義家の知り合いを招くからと言われ息子たちそっちのけでクリスマスパーティーの準備をさせられました。
ケーキも作るのが当たり前で、大勢来るからとホールケーキをふたつ作らされた時もありました。
面倒な大量のサンドイッチや巻き寿司、無償で働く食堂のおばちゃんです。
ある年は、小姑の帰宅を待って夜八時までご馳走を眼の前にしてお預けでした。
いつも夕飯は六時と言い張り、こちらの都合で遅れようものなら文句たらたらだったのに、自分の時は平気で人を待たせる神経がわかりません。
幼い息子はぐずることなく、おとなしく待っていました。
もうひとりの小姑が「待つことも躾だ」と言ってご馳走に手をつけることを許さなかったからです。
八時なんていつもはお休みの時間です。
案の定、サンドイッチを握りしめながらこっくりし始め、ケーキが食べたいと泣き出しました。ケーキはご飯を食べてからと小姑が息子を咎めたシーンを今でも苦々しく思い出します。
ふざけんな!!
やはり言えませんでした。
情けない母親です。
クリスマスのゴタゴタは年末年始の序章です。
それを思えば今はなんて幸せ...
幸せでしょうか?
やり直せるものならやり直したいです。
幼い息子たちとケーキを囲んだ楽しいクリスマスを。
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