忍者ブログ

大きな家のボロキッチン

別居だったはずなのに! ある日突然の「壁紙選んでね」という義母の言葉に呆然、あれよあれよという間に同居のための改装終了。 卯年生まれの私も義母が雑事から解放された年齢になりました。うさぎが茨の道を脱出できる日はいつ?

HOME • Admin • Write • Comment





娘夫婦と同居になった知人が嘆いています。
娘さん夫婦が家を建てるまで同居させて欲しいとの申し出で始まった押しかけ同居みたいです。

共働きなので家のことも何にもせず任せきりされ、孫の面倒まで押し付けられて毎日が戦争だと言ってます。実の娘との同居も難しい面があると聞きますが、ほとほとお疲れの様子に、こんなケースも気の毒に思えてきます。

知人いはく、外へ出て家事から解放され、義母との関わりも少なくなった私は幸せ者だそうです。幸せ...ですか。
本当に隣の芝は青く見えるものだとつくづく思います。











小姑が里帰り出産をして、産後開け自分のアパートに帰ってから何年?
まるでケータリング係のように義母が毎日の食事を届けていたことがありました。

最初はたまに夕飯を届けていたようです。
きっかけは家族もろともインフルエンザで寝込んで食事の支度がままならないとか、そんな理由だたと思います。
さすが自分一人でないので実家へ帰って一週間も極楽ライフを送ることはできなかったのでしょう。

産後の大変な時期と風邪がきっかけだったと思うのですが、義母の介入はどんどんひどくなり、しまいには朝昼晩と三食届けるようになったのです。

それに甘んじてる小姑も異常としか思えませんが。
出勤時間になってしまいましたので続きはまた後ほどにします。

にほんブログ村 家族ブログへ
  にほんブログ村
にほんブログ村 家族ブログ 舅・姑・小姑へ
にほんブログ村
にほんブログ村 その他生活ブログ 貧乏・生活苦へ
にほんブログ村
PR






文句を言いつつもやらなければ、雑草だらけになり最後は私が泣きを見るパターンの庭仕事。
今回は私の大噴火もあって、マザオは普段以上に奮闘し腰を痛めるという体たらくです。

それでもなんとか不機嫌な私を鎮めようとあれこれ気を使ってもらえるのはありがたいものです。
まあ、そうでなければ今日まで夫婦でいられたか分かりませんけどね。

店があった頃は、帰宅は深夜で休みも何かしらで店へ出向き家のことなど手伝ってもらえませんでした。

世の旦那様の、芝刈り担当だとか、風呂掃除はやってくれるだとか、まったく無縁の母子家庭のような家でした。











母子家庭なら食事の支度は母と子の分でいいのですが、
現実は義父母に小姑と、今時珍しい大家族でした。
大人だけで六人もいるのですから、アジの干物など三回もグリルで焼くのです。

洗濯だって何回もまわして、竿がしなる程たくさん干して、乾いた洗濯物がこんもり山になった前に座って延々と畳み続けるのです。
何をとっても大容量の家事の合間を縫って、床のワックスがけや風呂場のカビ取り、芝刈りに...さらに店の手伝いまで!
思い出すだけで動悸がするような生活でした。

こんな毎日でしたから子供はほったらかし、小さな頃はおんぶしっぱなしでした。

「外遊びが大好きだから毎日公園通いして疲れる」
近所のママ友からこのセリフを聞いた時の衝撃が忘れられません。

毎日?わざわざ公園へ行って遊ばせるの?
バカな私はとても驚き、子育てってそういうものなの?と頭の中が疑問符でいっぱいになったのです。

育児とか子育てについて悩んだり考えたりする暇がなかったのです。
毎日、やらなければいけないことに追われ必死になって子供のことは後回しでした。
後回しなんて感覚もありませんでした。

文字通り、髪を振り乱して家事に勤しんだ...
まさしく住み込みの家政婦さながらでした。

にほんブログ村 家族ブログへ
  にほんブログ村
にほんブログ村 家族ブログ 舅・姑・小姑へ
にほんブログ村
にほんブログ村 その他生活ブログ 貧乏・生活苦へ
にほんブログ村
Copyright ©  -- 大きな家のボロキッチン --  All Rights Reserved
Design by CriCri / Material by もずねこ / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]