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大きな家のボロキッチン

別居だったはずなのに! ある日突然の「壁紙選んでね」という義母の言葉に呆然、あれよあれよという間に同居のための改装終了。 卯年生まれの私も義母が雑事から解放された年齢になりました。うさぎが茨の道を脱出できる日はいつ?

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今朝もまたけたたましく鳴り響く目覚ましの音で目が覚めました。
そして、八時過ぎにお仲間がお迎えにきて出掛けて行きました。
昨日の思わぬ贈り物で迎えた穏やかな時間はこうして潰されていきます。

目覚ましくらい止めろ!
毎度ながら本当に気がつかない人です。
高齢になればこんなものでしょうか。でも義母の場合、昔からこうです。
なんでも中途半端でやりっ放しの「ぱなし族」なんです。

息子が幼いころに読んだ絵本ノンタンに「ぱっぱらぱなし」というのがあって、ああ義母だと思いながら読んだ記憶があります。

義母自身はぱなし族のくせに私には完璧を求めて、あるいは自分の都合の良い動きを求めて、怒られること度々でした。











「店を継ぐ者の嫁としての自覚がない」
「働く気概が見られない」
こんな言いがかりのような事で皆が帰宅した夜遅くに話し合いという名のお説教が始まり、深夜まで文句を言われた事も一度や二度ではありません。

私への言いがかりだけでなく、何事も小姑優先の義母ですから気にくわないことがあれば私への攻撃となりました。
小姑が結婚して家を出ているのに自分の誕生パーティーをやって欲しいと頼まれ、やんわり断ったところ義母の怒りが炸裂しました。私は冷たい人間だそうで。
離婚が決まりアパートから引っ越す際の手伝いをしないとボロキッチンの外から延々怒鳴りつけられました。うちの事なのに知らん顔して神経を疑うと、率先して手伝うのが普通だと。

家事一切を押し付けられ、店の手伝いや銀行回りなど面倒な仕事ばかり回されて暇な時間などありませんでした。
毎朝、起きた瞬間から地獄が始まると涙をこらえて家政婦生活が始動していた頃です。子供も小さく、いっぱいいっぱいでした。

一時は追い詰められて、自室から出ることが怖くなり何十分も熊のようにぐるぐると回って泣きながら台所へ立っていた時期もありました。トイレだって我慢の連続です。

どうしてそんな我慢ばかりして生活していたのか、自分でもわかりません。

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