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大きな家のボロキッチン

別居だったはずなのに! ある日突然の「壁紙選んでね」という義母の言葉に呆然、あれよあれよという間に同居のための改装終了。 卯年生まれの私も義母が雑事から解放された年齢になりました。うさぎが茨の道を脱出できる日はいつ?

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小姑たちが嫁に行ったことで空いた部屋、やっと子供部屋に使えると思い込んでました。

最初に一人が嫁に行き「さあ子供部屋」と思ったら、里帰りした時の部屋がないのはかわいそうと義母が騒ぎ、子供部屋はお預けになりました。

タイトルにもありますが、田舎の同居家庭ですから大きな家です。部屋数もあります。











長男は小学校高学年になっていました。
それでも子供部屋はありませんでした。

小姑二人がいなくなって、やっと!と思ったら出戻りです。
すでに兄夫婦が主体となってるのに、のこのこと戻ってきました。

さすがにばつが悪かったのか、里帰り用とわめいていた部屋に二段ベッドが置かれました。
家財道具を何も持たずに出戻った小姑のタンスや本棚を買いに家具屋へ行った際、義母がついでに買ったのでした。

何の相談もなく突然運び込まれた二段ベッドにはしゃぐ息子たちを見て、忌々しく思ったものでした。こういうのを良いとこ取り!っていうんでしょうか。

実は、出戻り騒動の時に、私が引っ越しやアパートの掃除の手伝いに来ないと義母がヒステリックに怒り狂ったことがありました。

なんで私が手伝わなきゃいけないの!?
ばっかじゃないの!?
手伝うとか首をつっこむ事はこれっぽっちも考えてなかったけど。
だけど、あまりの剣幕とドアの外で怒り狂う義母に恐れをなしてトイレにも行けませんでした。

当時は携帯電話なんか持ってなくて、部屋からマザオに連絡するすべはなく、じっと息を潜めて帰宅するのを待っていたのです。

この件は義父まで巻き込んで徹夜の大げんかに発展し、表向きは義母の完敗だったのですが、しばらくの間、嫌味を言われる所以にもなりました。その穴埋めが二段ベッドでしょうか?

これでまたしばらくは、小姑と義母が一緒になって投げかける無理難題に悩まされたのです。

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二人の小姑が相次いで嫁に出て、どれほどホッとしたことか。
愕然とすることは、まるで作り話のように日々あったけど、もう同じ屋根の下に住んではいないのですから。

小姑たちの度々の実家滞在も、店へ行ってる時間が長い私には同居から解放された喜びの方が大きかったのです。
なんにもまして、実家が費用を出してくれたボロキッチンの籠城部屋がありました。

これから少しずつ自分を主張していこう!
この家の中心人物は義母でも小姑でもなく、あくまでも働き盛りのマザオと跡取りだと騒ぎ立てた息子ではないか!

私の密かな想いとは真逆の方向へ物事は進んでいくのでした。











車で一時間半、往復で三時間の距離へ嫁に行った小姑がまさかの日参になるとは思いもよらないことでした。
経理は私の仕事、それが小姑の言い分でした。

嫁に行っても実家の家計を牛耳る小姑をたしなめたのは義父でした。
が、一言で言うなら惨敗。義母と小姑らの結束した屁理屈と怒号にだんまりになりました。

義父が私にそっと言った「時期が来れば」。
その時期はまだまだ先のことでした。

さすがに疲れたか、小姑の日参が数日おきになり週一くらいになってきました。
週一でもゲンナリなんですけど、日参からの週一ですからずいぶんとホッとしたものです。

ところが、もう一人の小姑が頻繁に帰省してくるようになりました。
スープの冷めない距離に住むこの小姑は泊まっていかないことだけが救いだったのに、風邪を引いいたから、夫が出張でいないからと、居候のような状態でした。
今思えば離婚の前兆だったんです。

やっと小姑から解放されたと思ったら、出戻りの事態になりました。

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