大きな家のボロキッチン
別居だったはずなのに! ある日突然の「壁紙選んでね」という義母の言葉に呆然、あれよあれよという間に同居のための改装終了。 卯年生まれの私も義母が雑事から解放された年齢になりました。うさぎが茨の道を脱出できる日はいつ?
過去と現在が混在してしまい読みづらいかもしれないですね。
思いついたままに綴ってこんな風になってしまいました。すみません。
私たちの結婚を機に費用を掛けて改装した家は取り壊されることになりました。
数百万掛けたその大改装からわずか数年。
当時の新婚さんが借りる一般的なアパートは、地方ですので五万円ほどで十分だったと思います。
仮に家賃七万円だとしても年間百万円にも満たず、どうせ消えてしまうのならアパートで別居した方がどれだけお互いのためだったか、私の気持ちはくすぶり続けました。
改装によって、新しいトイレ、新しいキッチン、新しい風呂場、新しい壁紙、満足だったのは義母でしょ!義母のために改装したようなものです。
引越しの時期は真夏でした。
私は乳飲み子を抱え、授乳もあって引越しの準備どころではなかったのです。新米ママの私には毎日があっという間に終わってしまいます。暑い時期でしたから沐浴もしてあげたいし、着替えだってしてあげたいのに、そういう時間も惜しいくらいだったのです。
当然、時間差で来る食卓の用意、洗濯、掃除、買物、赤ちゃんがいない時と何ら変わりない家政婦の仕事でてんてこ舞いでした。それなのに引越しの準備が出来てないと怒られたんです。
今なら「はあ!?」とでも言ってやりますが、やはり、口答えなど出来るわけはなく。心の中で「明日からやらなくては」などと思ったのでした。
私の中にも自尊心は残っていたみたいです。
引越しの準備が出来てない、費用がどうのと、あれやこれや言われて私たちの荷物は出来るだけ自分で運ぶことにしました。
山のような荷物を軽自動車に乗せて、やっと寝返りを打つようになった息子をチャイルドシートに寝かせて自力で引越しを始めました。
車に乗り切らない大きな家具は歩いて運んだんです。
タンスの引き出しは車で、本体の枠はえっちらおっちら歩いて運びました。大きくても軽かったのでなんとかなったんだと思いますが、子供をおぶってです!信じられないでしょ。(笑)
結果的に自分たちの荷物はほとんど自力で引越してしまいました。
どこにそんなパワーがあったのか、とにかく怒られたくない、平穏に過ごしたいの一心だったのだと思います。
私の意見や気持ちなど微塵も取り入れられてない新しい家に、多少の期待感があったのも事実です。
ものの見事に裏切られますが。

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新婚生活というより、住み込みの家政婦みたいな生活でした。
特に憂鬱なのが定休日です。
休みだからとホッとする間はありません。
主婦に休みはないとはよく言ったもので、九時十時頃から「お昼何にする?」と義母から牽制が掛かります。こうなるとアテもないのに出掛けるからなどと咄嗟の回避術も出て来ません。
三百六十五日二十四時間、義父母や小姑の影を感じない時はありませんでした。
結婚当初、まだ学生だった小姑のお弁当作りも私の仕事でした、卒業し社会人になっても。
馴染むほどに分担が増え、ますます忙しさに拍車がかかりだんだんと私の精神は壊れていきます。
少ないお給料でやりくりなんて考えられませんでした。
家族全員分の食費も渡されていたので、青空市の利用や挽肉など安い食材で手間を掛けて食費を抑えました。余ったお金で自分のお菓子を買い込むために。
あれを過食症というのでしょうか。
安いスナック菓子、駄菓子を大量に買い込んで自室の押し入れに隠します。
寝起きの早朝や皆が寝静まった深夜に貪り食うのです。
水を飲むことさえ気を使っていたあの頃、水分なしでお菓子を貪る私はやっぱり異常でした。
戻すことなどしなくても全然太りませんでした。日中、働きまくるからですかね。
だんだんと感覚が麻痺して来たのか、それとも慣れなのか、こんな生活が当たり前というか、なにも感じなくなっていきます。感じないというよりも、あきらめ?
心の中に不平不満はそれは積もり積もっていたはずです。
でも、どこにも吐くところがなくて。
最初はマザオに訴えていました。が、マザオが間に入れば入るほどリターンが怖くて、誰にも言うまい、言っても無駄、自分のために我慢が一番、そんな心境へと変わって行ったのです。
そんなある日、どこでなにを吹き込まれたのか、義母が家を建てたいと言い出したのです。
私は妊娠初期、つわりの真っ只中でした。

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