大きな家のボロキッチン
別居だったはずなのに! ある日突然の「壁紙選んでね」という義母の言葉に呆然、あれよあれよという間に同居のための改装終了。 卯年生まれの私も義母が雑事から解放された年齢になりました。うさぎが茨の道を脱出できる日はいつ?
目が覚めたら身支度もそこそこに皆の朝食の準備と小姑のお弁当を作り、洗濯機を回し始めます。
幼い頃の息子はベビーチェアに座らせ目の前にご飯を置いてほったらかしです。
隣に座って「あーん」などとやっている暇はありませんでした。
ぐちゃぐちゃに手づかみされてプラスチックの食器を投げたりテーブルへ打ち付けたり、
躾もなにもあったものではありませんが、無駄に広いカウンターキッチンの向こう側まで行って寄り添ってあげる時間はありませんでした。
朝食の片付けと洗濯が終わったら息子をおんぶして掃除に取り掛かり、買い物とお昼を済ませたら店の手伝いやら銀行回りをして、大量の洗濯物を取り込んでたたみ終える頃には夕飯の支度に取り掛かる時間...
振り返ると考える時間なんかなかったから、無我夢中でやってきたのかもしれません。
だから私に、子育てがどうこう言えた義理はありません。
本当にほったらかしだったし、手をかけてあげることができませんでした。
あの頃は義母の方が厳しかったドアの開け放し禁止令で、息子が自由に部屋を行き来することも禁じていました。
まだボロキッチンのない私たちの寝室だった部屋へ息子一人閉じ込めて、夕飯の支度をしたことだって何度もありました。
思い出すと切ないことばかりです。
それなのに、小姑の結婚が決まってこの家を出て行く時、義母は近所中に触れ回ったのです。
息子は小姑が育てたようなものだって!
お店のことや家計のことも全部、小姑のおかげだって!
腸が煮えくり返るとはこのことです。
普段、連絡など滅多に寄越さない長男から電話があって久しぶりに話し込んだせいか、
遠い昔の苦い思い出がなぜかぐるぐると浮かんできました。
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この記事へのコメント
無題
不思議ですね私も子供が自立した今頃になって
ああしてやれば良かった、こうしてやれば良かったと言う思いが出てきます。
いつまでも過去に囚われているようだけど、どうやら自分がウンザリするまで吐き出さないと終わらないみたいです。
もう自分を許せば良いのに、自分は頑張ったと分かっているのに
息子に対する申し訳なさで自分を責めるのでしょうか?
それとも過去を忘れたような夫や義家のせいで覚えておきたいのでしょうか?
私はうーさんの少し前を歩いている気がします
姑、親戚に対して何も言えなかったけれど今は淡々と言えます
人生の終盤に入り何も怖くなくなり自分を大切にし始めました。
人生はあっという間ですね、本当にあっという間です。
Re:無題
後悔先に立たず?
どんなに諭されても先人に教えを乞うても、その時、その立場にならなければ本当の深い感情はわからないものなのかもしれません。
人生はあっという間、本当に。
極端な話、明日をも誰もがわからないのですよね。
一生懸命は十分やってきたのだから、自分のために自分の思うがままに進んでいく時期が来たのかもしれません。なかなか難しいですけど。^^