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大きな家のボロキッチン

別居だったはずなのに! ある日突然の「壁紙選んでね」という義母の言葉に呆然、あれよあれよという間に同居のための改装終了。 卯年生まれの私も義母が雑事から解放された年齢になりました。うさぎが茨の道を脱出できる日はいつ?

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「僕たちのお部屋ができたから友達を呼びたい」
次男がお祭りに自分の友達を招きたいと言ったのが苦渋のお祭り騒ぎとの決別になりました。

普通は子供中心になってもおかしくないお祭りも、この家では大人中心、というより義家の人中心でした。
最初は私の肉親や友人も招いたらと言ってくれましたけど、あえて呼びませんでした。
だって招かれる方だって気疲れするでしょうし、私は接待業務でてんてこ舞いで座ってる暇なんかありませんでしたから。

その流れのまま、子供が生まれても子供の友達を招くこともなく...。
まして、私から招きたいなどと言えるわけもなく、ついにわんぱく小僧だった次男の発言が出たのでした。









さすがに孫から自分の友達も呼びたいと言われて拒めなかったのでしょう。
あの年のお祭りからそれぞれの部屋で、それぞれのお客を迎え、それぞれに過ごすようになったのです。

が、楽しくお祭りを過ごした記憶は何回もありません。
それにお招きは数年で消滅しました。

別々になったといっても最初の年は全ての料理を私が小さなボロキッチンで用意し、義母側へ持って行くスタイルでした。
それはそれでとても大変だった記憶です。

子供の友達と一緒にやってきたママ友の手伝いもあり、楽しいことは楽しいのですが、食器は少ないし、洗い物をするにしても小さなキッチンに大人がごった返し、
なんていうか、人を招くには狭すぎて、子供が騒げば話もままならず。

廊下を隔てた義母側の広い部屋からも賑やかな声が聞こえ、私はこんな扱いを受けてる嫁なんだ、みたいな、一人勝手に惨めな気持ちになってしまったのかもしれません。

それでも懲りずに翌年もそれぞれの招待客を迎えることになりました。
前年の状況から役割分担をしようとなり、義母側はお寿司と煮物やフルーツを受け持ってくれることになりました。お寿司は出前で、この分担はなんだよ!と思いましたが。

小姑が盛り付けを分けて、私のボロキッチン部屋と義母側を出入りしてました。
その時、義母の大きな声が聞こえたのです。

「うちの子、優先だから!」
何を持って「うちの子優先」なのか分かりませんが、義母の言う「うちの子」とは小姑らのことです。本当の子供である孫(私の息子)ではありません。

小姑らは成人です。
これにはさすがに小姑も聞き咎めたのか、注意してましたけど、
私の心臓はこれ以上ないくらいに速い連打になって、動悸のあまりクラクラしました。

小さな不満を押し込めてお祭りを楽しく過ごそうと頑張っていたのに、プツッと踏ん張りが切れて座り込んでしまいました。
ただただ涙が溢れて、心配する息子に「まつ毛が入っちゃった」と言い訳したことだけが鮮明に記憶に残ってます。

今、この話をしたところで義母は「覚えてない」とシラを切るか、そんなつもりではなかったと取り繕うでしょう。

でも、私は忘れてないし、許すこともない。
「うちの子優先」、バッカじゃないの!!

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七月盆が終わりました。
地域が七月盆にせよ、八月盆と無関係でいられないのが嫁という立場ではないかと思います。

盆休みには繁盛期で忙しかろうが、子供達が夏休みでてんてこ舞いだろうが、家族総出で帰省してくる親戚に振り回されるからです。

いつも思うのだけど、娘は帰省してのんびり休むのに嫁は帰省どころか奴隷です。
いっそ「帰省」を「寄生」に変えたらどうかしら!











七月盆なら企業も学校も休みでないのでお寺行事で終わることができますけど、八月盆となるとお盆の行事に加えて帰省してきた親戚の世話でてんやわんやになります。
とはいえ、七月盆で終わったはずなのに八月も帰省客でやられる二度手間も泣けますね。

掃除や買出しなど事前準備も大変で、何もかも押し付けられる年中行事は苦痛でしかありませんでした。

小姑らが結婚し帰省してきた時、義母が放った「実家はゆっくりのんびりするところ」のセリフが頭の片隅にこびりついてます。
私の帰省は今まで何回あったでしょうか。
里帰り出産さえ許してもらえなかったのに。


生活環境の変化と小姑らの都合で、ここ数年のお盆は商売と資金繰りに追われまくってたこともあり、帰省客による悩ましさはありませんでした。だけど、お金がない苦しさはどうにもなりません。もっとも、昔からお金が足りていたことなどないのですけどね。

小姑や親戚の帰省が少なくなるにつれ、返済に追われまくって苦渋してた感じがします。
特に去年の今頃は契約が正式に決まるかどうか悶々としていて、七月には真っ青な状態、八月も疑心暗鬼で静かに引きこもりひたすら連絡を待っていました。

今年はどんなお盆になるでしょうか。
今さらお接待係の家政婦には戻るつもりはさらさらありませんけど。

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