大きな家のボロキッチン
別居だったはずなのに! ある日突然の「壁紙選んでね」という義母の言葉に呆然、あれよあれよという間に同居のための改装終了。 卯年生まれの私も義母が雑事から解放された年齢になりました。うさぎが茨の道を脱出できる日はいつ?
店の敷地の片隅に背の高い共同看板が立っています。
毎年八月が更新月で一年間の看板利用料が振り込まれます。
さほどの金額でもないのですけど、支払いに追われてひぃひぃ言っていた頃にはありがたいお金でした。
事務員小姑から引き継いだ時、このお金は自動車保険の年払いで毎年消えてると聞いていました。
なので、名義上は義父宛に振り込まれるこのお金も店と家計のやりくりに消えていたということです。
小姑の時代からこんな状態でしたから、私がやりくりする頃にはもっと、いつもいつも支払いに苦しんでいて収入があれば即横流しが当たり前でした。
今年も振り込みを待つ時期になりました。
いつも、あの時のあの目とため息交じりの不満をぶつけてきた義母を思い出してゾッとします。
今では自家用車も一台だけになり、店もやめて脱自転車操業を目指している中ですから、嬉しいお小遣いになっても良さそうなものですけどね。
そうは問屋が卸しません。
十万円そこそこ、うちにとっては大金ですけど、支払うべきお金から見たら微々たる金額なのです。
この看板利用料をめぐって義母が口を挟み嫌味を炸裂させるようになったのは、私が経理を引き継いでからです。小姑の時は何にも言わなかったのに、私が担当するようになってから文句を言うなんて本当に嫌味な人です。
あの日、義母はダイニングテーブルに肘をつきながらお茶を飲んでいました。
「そろそろ看板利用料が入るでしょう。」
穏やかな口調もここまででした。
二の句を待たずに「支払いがいっぱいで」と私は答えたのです。
「いっつもいっつも!」
「楽しみにしてたのに!」
声を荒げて鬼のような形相で睨まれました。
私だって自分のために使っているわけじゃないのに!
それどころかまともにお給料だってもらえない生活で!
元はといえばお前らが作った借金が原因じゃないか!
嫌味を背中に浴びながら無言で仕事へ行ったあの日のあのシーン、
いつもこの時期に思い出します。

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目が覚めたら身支度もそこそこに皆の朝食の準備と小姑のお弁当を作り、洗濯機を回し始めます。
幼い頃の息子はベビーチェアに座らせ目の前にご飯を置いてほったらかしです。
隣に座って「あーん」などとやっている暇はありませんでした。
ぐちゃぐちゃに手づかみされてプラスチックの食器を投げたりテーブルへ打ち付けたり、
躾もなにもあったものではありませんが、無駄に広いカウンターキッチンの向こう側まで行って寄り添ってあげる時間はありませんでした。
朝食の片付けと洗濯が終わったら息子をおんぶして掃除に取り掛かり、買い物とお昼を済ませたら店の手伝いやら銀行回りをして、大量の洗濯物を取り込んでたたみ終える頃には夕飯の支度に取り掛かる時間...
振り返ると考える時間なんかなかったから、無我夢中でやってきたのかもしれません。
だから私に、子育てがどうこう言えた義理はありません。
本当にほったらかしだったし、手をかけてあげることができませんでした。
あの頃は義母の方が厳しかったドアの開け放し禁止令で、息子が自由に部屋を行き来することも禁じていました。
まだボロキッチンのない私たちの寝室だった部屋へ息子一人閉じ込めて、夕飯の支度をしたことだって何度もありました。
思い出すと切ないことばかりです。
それなのに、小姑の結婚が決まってこの家を出て行く時、義母は近所中に触れ回ったのです。
息子は小姑が育てたようなものだって!
お店のことや家計のことも全部、小姑のおかげだって!
腸が煮えくり返るとはこのことです。
普段、連絡など滅多に寄越さない長男から電話があって久しぶりに話し込んだせいか、
遠い昔の苦い思い出がなぜかぐるぐると浮かんできました。

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