大きな家のボロキッチン
別居だったはずなのに! ある日突然の「壁紙選んでね」という義母の言葉に呆然、あれよあれよという間に同居のための改装終了。 卯年生まれの私も義母が雑事から解放された年齢になりました。うさぎが茨の道を脱出できる日はいつ?
前世の行いで現世の人生が決まる、こんな話を義母はよくしていました。
息子がメガネをかけるようになった時、学校の先生に対して母親が逆らうと子供の視力が悪くなると言いました。
自分の娘は極度の近眼なのに!
私が左手を怪我して痛みに苦しんでた時、体の左側の不調は先祖に逆らってるからと言いました。
数年前に小姑はひどい四十肩で苦しんで家事を義母に丸投げしました!
良い行いをしていれば、いずれ良い結果に報われる、
これは心に留めておきたいことだと思います。
そして、今の私の言動が決して褒められるものでないことは自分でもよくわかっているつもりです。
ですが、すべてを現実の生活の中に当てはめて、思わしくない出来事に屁理屈を並べたてる義母の考え方は大嫌いです。
遭遇したくない出来事というのは自分の意思に関わらず、世界のどこかで、日本中で、日常茶飯事に起きています。それを因果応酬と言えるのでしょうか。
「それとこれは別」とでも言いそうですが、別だとしたらその線引きはどこなのでしょうね。
このブログの中では、世の中のニュースには触れていません。
災害や訃報や事故、様々な出来事に対してこの場から物申すことを控えているのは私なりの遠慮です。
くだらない愚痴、自己中心的な雑感ばかりのブログの中では適切な言葉が見つからないというのもありますが、どこまで?の線引きが私には出来ません。
小さな怪我や個人の視力に至るまで紐づけられる義母から見ると、こんな私は冷たい人間らしいです。昨日の記事のコメントで「冷たい人」と幾度となく言われた過去を思い出しました。
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この記事へのコメント
腹立つ
他の事も嫁のせいじゃないって、理路整然と論破してやりたいのはやまやまですが、張り付いた作り笑顔でやり過ごす自分を情けなく思います。
あ、作り笑顔は昔の事でした。今は無表情でスルーです。
Re:腹立つ
歳をとると子供に戻ると言われますが、うちの義母は結婚当初からこんな感じでした。
もっとも、自分で「歳だからできない」発言を多用していたので歳だったのかもしれませんね。(笑)
世の中には素敵なお年寄りもいるのでしょうに、どうしても義母のような自己中タイプが目についてしまいます。
「人の振り見て」私も義母のようにならないために自己研鑽していくよう心掛けたいと思ってます。^^
無題
以前から読ませていただいています。
2度目のコメントです。
義母さんは今 少し寂しい老後だとしたら
それこそ因果応報なんです。
義母さんと小姑が今までしてきた仕打ちの報いです。
あれだけのことをされても、
同居を解消しないうーさん夫婦は 決して冷たい人では無いです。
息子夫婦の世話になり
うーさん夫婦がお米すら買えなかった時でも
生活費だってほとんど出さずに
のん気に暮らせている義母さんは
幸せ者と思えるほどです。
うーさん夫婦が家を出てしまったら
義母一人で暮らせるでしょうか?
なんだかんだ言っても
そんな義母を見捨てきることができない
優しいご夫婦だと思います。
こんなにも義家族や自営のお店の為に
自分を犠牲にして生きてきたうーさん。
冷たい人な訳ないです。
Re:無題
優しいお言葉をいただいて恐縮です。勿体無いくらいです。^^
同居を解消できる資金や環境が整っていれば、即実行したのではないかな、きっと。(笑)
ただそうできなかったがための今です。
義母は寂しい人、私もそう思います。
そう思うけれど、恵まれた環境でもあると思うとなんだか悔しいのです。
私自身の老後はどうなるのかわかりませんが、自分なりに覚悟の上の設計を立てなくてはいけないと思ってます。
って、いつも計画通りにいかないのですけどね。^^
無題
不幸の原因を自分では見つけられない時、前世や神様の罰にでもしなければ苦しくて生きて行けないのでしょう、それも受け入れる一つの方法かも知れませんね。
姑は神仏をまつって大事にしている自分は善人だと思っているようですが、守ってもらいたい願いを聞いて欲しいという利己的な思いの裏返しです。
誰にでも良い事も悪い事も起きますよね、悪い事の割合が大きいと愚痴を言ってもいい、怒ったり泣いたりしてもいい、そこから最善を尽くし楽しみたいと欲する事が大事なのではないかと思います。
以前は神様なんていないと思っていましたが、もし居るなら、うーさんのようにもがきながらも前に進む人は人生の問題を解いたよ!と神様に言えるのではないでしょうか。
そしてどんな小さな事でも自分が喜ぶ事をして下さい、単純(余計な事は考えない)に生きて楽しもうとする事が幸せへの近道のような気がします。
まるで分かったような事を長々書いてすみません。
Re:無題
私もかつては、神も仏もいない、信心の欠片もなく、義母の「先祖さん」に反発しまくっていました。年齢的なのでしょうか?受け入れたくはないけど、義母の「先祖さん」が理解できる面も出てきたのです。
ただ幼稚な私は、義母絡みの先祖さんを受け入れることができません。
今現在も同じ墓へは入りたくないと今でも強く願っているのです。
善行は常に心掛けたいところです。(実際はなかなか難しいのですけど)
なんにしても世の中、思うようにはなりませんよね。
もうしばらくは、もがきあがいていくことになりそうです。^^