大きな家のボロキッチン
別居だったはずなのに! ある日突然の「壁紙選んでね」という義母の言葉に呆然、あれよあれよという間に同居のための改装終了。 卯年生まれの私も義母が雑事から解放された年齢になりました。うさぎが茨の道を脱出できる日はいつ?
息子が小さい時から、
あまりの忙しさがそう思わせるのか、それとも私が薄情だからなのか、元々小さな子の相手が苦手なたちでした。
結婚前の遠い昔には、例えば、赤ちゃんを見かけてみんな口々に「わぁーかわいいー」と歓声が上がる中、ひとり醒めてる私は浮かないように皆に合わせて取り繕うようなところがありました。
だから、息子が生まれてこんなにも愛情を注げる対象になるなんて思ってもいませんでした。
そういう割に怒ってばかりでしたけど。
血のつながりってすごいですね、無条件の愛情が湧きててくるのですから。
こうして離れて暮らしていると、死ぬまであと何回会えるのかななどと思うときがあります。
盆暮れ正月と五月の連休の年三回として、あと何年?
こんな感情が一緒に暮らしたいって感情になるのでしょうか。
小姑はいわゆる晩婚だったのですが、結婚に向けた話がなかなか出てきませんでした。
嫁に行ってくれなければ、私は小姑とも同居生活が続くわけですから冗談じゃありません。
そんなある日、義母がいきなり言い出しました。
「あの子は神経質でものすごく気を使う性格だからお嫁にはいけないと思うの。
だからこの家でゆっくり過ごさせてやりたいと思って。」
夫に先立たれたら保険金と家をどうするのか聞いた小姑もすごいですけど、義母のこの勝手な発想もなかなかの衝撃です。
同居を余儀なくされてる私は無神経ってことですかね?
もしも小姑が結婚しなかったら、今頃どんな生活だったのか考えるのも空恐ろしいです。
やることも考えることすら自由奔放、世界は自分たち中心に回ってる義母たちです。
この春に帰国する予定だった小姑親子に会っていません。
どうなっているのか、聞きたくないけど対策を練らなければいけないので状況は知っておく必要があります。
もしかしたらまだ帰国していないのかもしれません。
ぬか喜びになると落胆も大きいので覚悟しとかないといけません。
ああー、本当に面倒なことばかりです!
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