大きな家のボロキッチン
別居だったはずなのに! ある日突然の「壁紙選んでね」という義母の言葉に呆然、あれよあれよという間に同居のための改装終了。 卯年生まれの私も義母が雑事から解放された年齢になりました。うさぎが茨の道を脱出できる日はいつ?
すみません。
昨日、帰宅したら書こうと思うなどと思わせぶりな発言をしておきながら今日のこの時間です。
面目ありません。
取るに足らない話に加えて時間が経過した事で、思い返しても記事にならないようなお粗末な話で、ブログに書くのもなんだかなあとも思えてきました。
義母の存在が、犬も食わない夫婦喧嘩は影をひそめてたのかもしれないです。
あまりにも義母への不満が大きくて、小さなざわめきは聞こえなかっただけかもしれないです。
義母らからの呪縛が無くなったわけではないけど、以前よりマシになって義母の存在感がだんだん小さくなってきたのかも?
だから、他にまで目に付くようになったとしたら、良かったんだか悪かったんだか、わかりませんね。
人って興味のないことは覚えられないですよね。
例えば、友人の誕生日なんかを聞いてもお喋りの会話の中で聞いた誕生日など時間とともに忘れてしまいます。
特に、この年齢になって物忘れが激しくなって、誕生日どころか日常のありふれた道具の名前、有名人、誰もが知ってるメーカー、そんなことすら「ほら、アレ、」ですから。
マザオはそれが顕著に出ています。
今更はじまったことじゃないけど。
その上、質が悪い事に「言った」「言ってない」と言い張ることです。
「この前、言ってた書類はどうなったの?」
私がこんな問いかけをすれば、「なんのこと?」と聞き返します。
「市役所へ行かなきゃって言ってたでしょ?」と、いきさつを話し始めると、
やっと、思い出したようにマザオが経過を話し出します。
今までは、忙しさもあってここで平和に会話が終わりました。
今は?
私の余分な一言が入ります。
「普通、書類って言った時点で思い出さない?」
たったこれだけの会話の中で水掛け論が始まるんです。
「書類なんて言ってないよ」って。
ここで私が引っ込めば済む話ですけど、
「は!?」ってなります。「たった今、言ったじゃん!」
こうなると、だんだん熱を帯びて語尾が強くなってきます。
マザオは温厚な性格です。
すぐにムキになる私に対して、「まあまあ」というタイプですから今までは自分を押さえて私の言い分を汲んでくれていたのかもしれません。
物忘れはお互い様ですけど、この頃、マザオがだんだん義母の性格に似て来たように感じます。
何度も同じことを聞くし。
昨日も「今度の休みは出掛ける」、何度めかのそんな話をしたのですが、何回言ったらわかるんだ!?とイラッとします。
まあ、マザオも私にイラッとすることは多々あるでしょうけどね。
義母がいなくなったら、平穏な日が来ると信じてる私は能天気なのかもしれないです。
でも、当分はその夢のような世界は来そうにありません...
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