大きな家のボロキッチン
別居だったはずなのに! ある日突然の「壁紙選んでね」という義母の言葉に呆然、あれよあれよという間に同居のための改装終了。 卯年生まれの私も義母が雑事から解放された年齢になりました。うさぎが茨の道を脱出できる日はいつ?
「ちょっと行ってくるね。」
母親のお抱え運転手マザオが3回目のこのセリフを残して出掛けて行きました。
何気ない日常のひとコマですが、これがイライラの発端になったりします。
朝のお茶を飲んでる時に、これから義母を送ってくる旨の話があり「ちょっと行ってくるね。」
そろそろ時間なのか、身支度を整え、運転時用のメガネを探しながら「ちょっと行ってくるね。」
そして、本当の出掛け間際に「ちょっと行ってくるね。」
この時の私の本音はいちいち言わなくても結構!なのですが、
実際に何も告げずにマザオと義母が連れ立って出かければ気分悪し、となるでしょう。
我ながら勝手だとわかってはいても感情の波は止まりません。
あえての無言で「いってらっしゃい」なんですけど。
悪気はないでしょう、わかってます。
何気に伝達を兼ねて言ってるだけだと思います。
でも私の胸の奥には義母の予定など知りたくもないし、どこへ行こうが何をしようが知ったこっちゃない、送ってくることを一回聞けば十分です。
いいえ、ほぼ毎日のことですから気配で察してます。だから言わなくても結構です!
その反面、黙って出かければきっと別の不満が出てくるに決まってます。
自分の感情でありながらなんて面倒くさい...(笑)
こんな不毛な波をやり過ごしたり乗り越えたり、時に飲み込まれてどっぷりと沈んでいきます。
こんなことの繰り返しです。
同居でなくともこうしたことは起こるものだとわかってはいるのです。
それでも思ってしまうのは、義母さえいなければ...
空気のような存在?、緩衝材となって?、防波堤?
義母をどこかへ送り届けたマザオは、今正面に座っています。
同居の煩わしさを招いた張本人ではありますが、マザオがいなくてはこの生活は成り立ちません。
明るい日差しがボロキッチンへ差し込んで静かです。
義母がいないだけでこんなに穏やかな時間が流れるんですね。
残念だけど、私も仕事へ行かねばなりません。
戻ってくる頃には義母も帰ってきているでしょう。
はあー!
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この記事へのコメント
その存在が・・。
でも、それが同居生活の嫁の気持ちなんです。
だから、うーさんの気持ち、ものすごくわかります。
今の爽快な静かな日常は、本当に幸せですから。旦那は毎日静かで寂しいなどと言っていますが、私にしてみれば、あの不愉快な日々の再現とも言える、息子夫婦との同居は、絶対にあり得ないし、何としても阻止するつもりです。お金は無くてもいいんです!!
Re:その存在が・・。
夜中にふと目が覚めて、同じような静けさの中で、時間が時間だけに会うわけがない義母の存在を嗅ぎ取って不快になる...、これぞ同じ空気を吸うだけで嫌悪感が増す証拠ですかね。
結婚したばかり頃の私は商売屋の嫁の立場から、どこで言動が回遊するかを恐れてただひたすら胸の中へ溜め込みました。ストレスが引き起こしたのか、不可解な言動でかなり変わった人だったかもしれません。愚痴をこぼす大切さを感じています。
今では、当時は人生を満喫してるように見えた友人が介護の苦労や親戚の軋轢などをこぼす度に、今まで楽しかったんだから..と思う気持ちが先行してしまいます。
今後の私にどんな道が待っているのか、もうゴールが近づいてるのだから平坦であって欲しいと願うばかりです。^^