大きな家のボロキッチン
別居だったはずなのに! ある日突然の「壁紙選んでね」という義母の言葉に呆然、あれよあれよという間に同居のための改装終了。 卯年生まれの私も義母が雑事から解放された年齢になりました。うさぎが茨の道を脱出できる日はいつ?
どうしたことか、マザオの方が熱心です。
買いたい病かもしれません。
親子ローンで建てた家とはいっても間取りや壁紙ひとつ取っても家族協議でした。
「自分の家を建てる」感覚がないまま、ずっとずっと「おとうさんの建てた家」と言われ続けてきたのです。
ここに来て、マンション購入=にわか家長意識でしょうか。(笑)
どうせなら家具家電は新調したいとか、角部屋が良いかなとか、実現はすぐそこにあるかのような盛り上がりっぷりです。
ある意味、ありがたいことでもありますが、何処と無く現実味がなくて
小姑らの茶々が入ったことで気持ちはここにあらずといった感じです。
義父が亡くなった時、どこの家で起こりうる遺産分け問題がありました。
大した財産もなく、遺産分けというほどのものもない極々普通のうちでしたし、もっと昔には遺産分けで揉めるサスペンスドラマを見ては絵空事に感じていました。
実際には店と自宅の不動産があり、ほんのわずかな保険金や証券などもあって、さてどうするかという話になりました。
まずもって店の営業を続けなければ生活が成り立ちませんし、自宅は義母ともに生活の場ですからマザオが相続したのです。
マザオが不動産を相続する代わりに現金等はすべて小姑たちが。
法律に則ってと主張するならば、目もくらむ金額の借金も同率で相続してもらいたいところですが、この時は「店と借金はセット」として当たり前に私たちが請け負っています。
言葉にこそしませんでしたが釈然としませんでした。
借金に苦しみ、生活必需品にも事欠いて、学校へ納めるお金も滞納するような辛酸を舐めて来ました。息子たちにも随分と負担をかけてきたのです。
マザオの考えは、後腐れがないように、後からゴタゴタ言われないようにと、そして将来的に息子たちの財産になるのだから自分たちが踏ん張るしかないと。
まだまだ遠い先ではあるものの、まったく見えなかった出口が「ある」と確信できたのはつい最近のことです。
苦しみながら自営業脱却の道を探り、想定通りに進まずカードローンで凌ぐという一歩間違えたらすべてが台無しの危ない橋も渡りました。
ブログにお金がない、義母が嫌い、と愚痴を書き綴りながら、もがき喘いで、やっと今なのです。
「実家を売るなんて」
そんなに極悪非道なことでしょうか。
私たちが途中でギブアップして借金の返済を諦めていたらとうに無くなっていたはずです。
出口が見え始めた今になって、まるで共同体で守り続けたようなことを言われても納得できるはずがありません。
しょげていた気持ちがだんだん怒りに変わって、絶縁だっていいじゃない!
むしろ縁が切れたらこれ幸い!
簡単なことでないのはわかっています、現実的でないのも。
ああ、面倒!!
親戚なんて本当に面倒です。

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心ここに在らず
こんな言葉がぴったりの心境でしたけど、少しずつ自分を取り戻しつつあります。
なるようになるさ!
かなり無理してますけど、こう思うしか心の均衡を保てそうにありません。
毎日、リレーのスタートラインに立っているような動悸と浮遊感に苛まれていましたが、徐々に収まりつつあります。
引っ掛かりを拭えない理由のひとつに息子の結婚式がありました。
義母や小姑たちの参列はないとわかってホッとしています。
ふたりにもしがらみや都合というものがあるでしょうから、こちらは一切口出しをしないようにしていました。
今回の実家がなくなると騒がれてギクシャクした中、結婚式で顔を合わせるのは嫌だったのです。
続けて、転職した長男から近況報告が入りました。
滅多に、というか連絡がくるのは「困った時」の長男ですが、今回は嬉しい報告でした。
思えば、同居の煽りを散々に喰らって辛酸を舐めてきた息子です。
マンション購入を寸断されて、受験の邪魔をされた苦い記憶が蘇っていました。
いつも肝心な時に横槍を入れて台無しにする!って。
けれど、結果オーライの報告に嬉し涙があふれそうでした。
頑張ったね!
今までの苦労が報われたね!
息子たちの幸せに後押しされて、負けるもんかと思えました。
気持ちを奮い立たせて前へ進まないと、やっと前向きな気持ちが芽生えてきました。
神様仏様、お願いですから私の願いを叶えてください!
自由をください!
もうそろそろ解放してください!


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