大きな家のボロキッチン
別居だったはずなのに! ある日突然の「壁紙選んでね」という義母の言葉に呆然、あれよあれよという間に同居のための改装終了。 卯年生まれの私も義母が雑事から解放された年齢になりました。うさぎが茨の道を脱出できる日はいつ?
突然マザオが言いました。
賃貸マンションから高齢者が退去を求められることがあるらしいと。
漠然と老後の話をしていた時です。
分譲か賃貸か、この家をどうするのか、店を畳んだ時からずっと言い続けてるくせに具体的なことは何一つ進んでいません。
あの時、勢いで買ってしまいそうになったマンション
住めば都で買ってしまった方が良かったのか
あらためて六十という年齢を考えさせられました。
このままずるずると時間だけが過ぎていったら...
車がないと生活できない地域です。
バス路線もどんどん減ってしまってます。
今は夫婦二人で協力し合えることも、ひとりになって困るのは時間の問題です。
昔々、義母が孫である息子たちも一緒に住める三世帯住宅を建てたいと言っていました。
冗談じゃない!その時は曖昧に流していましたが、今思うとぞっとします。
第一、息子たちには自分自身で選ぶ自由があるはずで、ここに留まることが当たり前だと思ってることにぞっとしました。
そんな義母は優雅なサ高住暮らしでこちらの援助も当たり前のように享受しています。
こちらの苦労なんてわからないでしょう。
子供達に迷惑を掛けたくないといつも言ってましたけど、迷惑かかってますから!
ほんと、いいとこ取りの人生でやりきれない思いです。

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記憶力には自信がありました。
過去形なのは激しい衰えで少し前のことも忘れてしまうからです。
今は怖いくらい、病気なんじゃないかと思うくらい忘れっぽくなりました。
くだらないことでも、些細なことでも、私の中で印象に残ることはしっかり焼き付いていました。
昔話に花を咲かせてる時に、「あの時はこうでああで」と場面を語ると周りがびっくりするくらい細かいシーンまで覚えてることもありました。
なのに、どんどん忘れていく
忘れたことすらわからない、そんな感じです。
自分大丈夫かと自問してます。
結婚してからあんなことがあった、こんな目に遭った、この恨みつらみ忘れてなるものか!
煮えたぎるような思いを秘めて歯を食いしばってきました。
怒りが原動力みたいな面もありました。
それなのにどんどん忘れていく
いいのか悪いのか
負の思い出なんか忘れた方がいいと思います。
でも、もやもやした苦しかったことは覚えてるのです。
他人様の嫁姑問題を聞いて、同じようなことがあった!となるわけです。
どんな辛い過去があったのか
いざとなると、具体的な場面が思い出せないのです。
毎日毎日、あんなに言いたいことがあったのに、今となってはすっと出てこないのです。
水に流したわけでも忘れ去ったわけでもないのに。
言葉が出てこないのと同じような感覚かもしれません。
あんなに覚えてろ!今に見てろ!と心の中で叫んでいたのに。

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