大きな家のボロキッチン
別居だったはずなのに! ある日突然の「壁紙選んでね」という義母の言葉に呆然、あれよあれよという間に同居のための改装終了。 卯年生まれの私も義母が雑事から解放された年齢になりました。うさぎが茨の道を脱出できる日はいつ?
社員旅行へ参加したパート仲間の名産品をいただきながら話を聞きました。
一緒に参加した一人が「お母さん」を連発したと。
自分を振り返っても、若い頃とは違った親を想う気持ちが出ているのは確かです。
親孝行という言葉を何か形で表したいと思ったり、あとどのくらい楽しい時が過ごせるのだろうと思ったり。
先日書いた煩わしい出来事も増える代わりに、想う気持ちも大きくなってるように感じます。
それにしても、話を鵜呑みにすればすごいの一言です。
仮にAさんとします。
社員旅行出発の数日前にご実家でいざこざがあり母親がAさん宅に泊まっていたそうです。
Aさんのご実家は完全同居で、話によれば、よくある嫁姑問題から端を発した揉め事に誰も母親の味方にならなかったせいで家出したきたんだとか。
ここまで聞いただけでなんだか状況が見えてくるような気がしてなりませんでした。
ずっと同居で頑張ってこられたであろうAさんご実家のお嫁さんの肩を持ちたくなるのは、私が同居嫁の立場だからでしょうか。
普段のAさんは誰にでも優しく機転のきく頼れる存在です。
そのAさんが、お嫁さんもお兄さんも先が短い母親の気持ちを汲んでやれないとボロクソにこき下ろし、相当怒っていたと聞きました。そして父親はいつもどっちつかずの態度で母親を孤立させると嘆いていたそうです。
そして旅行中、土産を見れば「お母さんに」「お母さんの好物」とお母さんが中心のお土産選び。行く先々で「お母さんと来た時に」「お母さんはこんな歩けない」と。
とにかく「お母さん」だったそうです。
わからないでもないけど、どうなのでしょう。
聞いていた同僚は口々に「大変だね」と言いましたけど、何が?誰が?
お嫁さんが大変だと思ったのは私だけではないと思います。
Aさんはお嫁さんにとって疎ましい人に違いありません。

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「ちょっと行ってくるね。」
母親のお抱え運転手マザオが3回目のこのセリフを残して出掛けて行きました。
何気ない日常のひとコマですが、これがイライラの発端になったりします。
朝のお茶を飲んでる時に、これから義母を送ってくる旨の話があり「ちょっと行ってくるね。」
そろそろ時間なのか、身支度を整え、運転時用のメガネを探しながら「ちょっと行ってくるね。」
そして、本当の出掛け間際に「ちょっと行ってくるね。」
この時の私の本音はいちいち言わなくても結構!なのですが、
実際に何も告げずにマザオと義母が連れ立って出かければ気分悪し、となるでしょう。
我ながら勝手だとわかってはいても感情の波は止まりません。
あえての無言で「いってらっしゃい」なんですけど。
悪気はないでしょう、わかってます。
何気に伝達を兼ねて言ってるだけだと思います。
でも私の胸の奥には義母の予定など知りたくもないし、どこへ行こうが何をしようが知ったこっちゃない、送ってくることを一回聞けば十分です。
いいえ、ほぼ毎日のことですから気配で察してます。だから言わなくても結構です!
その反面、黙って出かければきっと別の不満が出てくるに決まってます。
自分の感情でありながらなんて面倒くさい...(笑)
こんな不毛な波をやり過ごしたり乗り越えたり、時に飲み込まれてどっぷりと沈んでいきます。
こんなことの繰り返しです。
同居でなくともこうしたことは起こるものだとわかってはいるのです。
それでも思ってしまうのは、義母さえいなければ...
空気のような存在?、緩衝材となって?、防波堤?
義母をどこかへ送り届けたマザオは、今正面に座っています。
同居の煩わしさを招いた張本人ではありますが、マザオがいなくてはこの生活は成り立ちません。
明るい日差しがボロキッチンへ差し込んで静かです。
義母がいないだけでこんなに穏やかな時間が流れるんですね。
残念だけど、私も仕事へ行かねばなりません。
戻ってくる頃には義母も帰ってきているでしょう。
はあー!

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