大きな家のボロキッチン
別居だったはずなのに! ある日突然の「壁紙選んでね」という義母の言葉に呆然、あれよあれよという間に同居のための改装終了。 卯年生まれの私も義母が雑事から解放された年齢になりました。うさぎが茨の道を脱出できる日はいつ?
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風邪をこじらせ入院したと聞いていました。
友人の義父です。
それを聞いたのはいつだったでしょうか...
それくらいの軽い言い方だったのです。
早く元気になってもらわないと困る、病院通いも大変だし完治せずに中途半端で戻ってこられたらもっと大変だと言う友人を、どす黒いモヤモヤが渦巻く私は密かに偉いなあと思ったのでした。
状況は違えど、義父が病に倒れた時、突然のことで家中が混乱の真っ只中に放り出されて途方にくれた時も、私の胸中にはどす黒いモヤモヤが湧き出ていました。
「お葬式でバッタバタだったの。」
立ち寄ったコンビニで偶然に会った友人はあまりにもあっけらかんとしていて、私は「誰の?」と聞き直したくらいです。
彼女の舅だと聞いて、「えっ」と言ったきりお悔やみの言葉も出てきませんでした。
やっとの事で「いつ?」と聞くと「この前」と曖昧な返事です。
そして、私の休みはいつなのかと聞き返されてしまいました。
「どこか行こう」ですって。
まだ日も浅くこれから諸々のお寺ごとがあるでしょうに、彼女の心はすでに遠足のようでした。
羨ましい!
正直な気持ちです。
うちの義父も亡くなって久しいですが、友人のところは姑さんも施設にいるのです。つまり、自宅は自分たちだけの核家族になりました。
大変だったという友人だけれど、心なしか晴れやかに微笑んでいるように見えました。

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忘年会には早すぎる親睦会でした。
カニが食べたい、肉がいい、意見がいろいろ別れバイキング形式になりました。
結婚してから長いこと宴会に参加する機会などほとんどありませんでした。
自営業ですからね。
ただホームパーティ病にかかってた義家の人のためにホスト役の宴会は多々ありましたが。
そんな宴会、やりたくない!
楽しくない!
疲れるだけ!
そういえば、最近は泊りがけで出掛けたり、友達と遅くまで話し込んで夜遅く帰宅したりすることがあっても、怖くて玄関の前をうろつくようなことは無くなりました。
バッグからスッと鍵を出してさっさと家の中に入ります。
こんな家嫌いだ!と叫んだ頃の気持ちは今も変わりませんが、それでも以前のような帰りたくないとあてもなく再出発することも無くなりました。
少しずつ自由を手に入れてきたのかな。
まだまだ家政婦だった頃に「自由にさせてやってるのになにが不満なの!?」と切り口上で言われたことがありました。
私のどこが自由だ!?と唖然としたのを覚えてます。
自宅と店の往復だけの毎日のどこが自由?
食事の支度と皆の洗濯だけで一日が終わってしまう生活のどこが自由?
誰が言ったか忘れたけど、食事の支度が大変だと私をねぎらってくれた人がいました。
「二人分作るのも五人分作るのも変わらないわよ、ねえ!」この台詞、義母が言ったんです。
自分で作ってもないくせに!
変わらないわけがないじゃないですか。
普段の食卓だって二人分と五人分じゃ天と地ほどの差があります。アジの干物だったらグリルで三回も焼くんですよ!
それに、五人分じゃありません、大人だけで六人ですから!
息子を入れたら七人、八人の大所帯だったのです。
あの頃を思えば、今は天国のような生活なのかもしれません。

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