大きな家のボロキッチン
別居だったはずなのに! ある日突然の「壁紙選んでね」という義母の言葉に呆然、あれよあれよという間に同居のための改装終了。 卯年生まれの私も義母が雑事から解放された年齢になりました。うさぎが茨の道を脱出できる日はいつ?
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
夫婦ってなんだろう、ふと思う時があります。
マザオと私、どちらかといえば仲の良い方ではないでしょうか。
人からも仲良しだと見られているようです。
そんな間柄でも離婚したいと思ったこと何度もありました。
それはマザオ個人云々というより、同居がらみで。
同居が離婚の原因、もしくは義親をめぐって離婚、よく聞く話です。
おかしくないですか?
親のせいでケンカになるって。
息子である夫の感覚と嫁である妻の苦労が互いに理解できずに揉めるパターンが多いように思いますけど、どうでしょうか。
養子に入られた旦那さんやマスオさんって、どんな感じなんでしょうか。
絶対数が少ないからか、外で働く大黒柱だからか、嫁ほど不遇でないように感じます。
それとも在宅時間が少ないからトラブルが少ない?
核家族で共働きなら家事は分担が当たり前と言われる時代に、同居だと途端にすべての負担を押し付けられる同居嫁、納得できません。
実際は家事分担といっても平等に分担できてる家庭は少ないようですけど、それでも同居家庭のように分担などありえないということはないと思います。
マザオにゴミ出しを頼むだけで義母から文句を言われたのに、今はどうですか。
玄関に出せとばかりにゴミ袋を置いてるのは義母ですから。
味噌汁を作らない嫁は失格とほざいた義母の娘一家の朝食はパン食で、それをよしとする義母。まあ、娘といえど、嫁に出したのですから義母に口出しする権限はありませんが。
立場が変われば考えも変わる?
私が息子を思う時、マザオと義母の関係を理解できなくもありません。
それは許すとか受け入れるとかではなく、「わからないでもない」ということです。
だから、あくまでも、義母の息子であるマザオに一定の理解と妥協点を見出して許容範囲を広げているとも言えます。
若い頃のように好き嫌いでなく、どこまで受け入れられるか、そんな感じでしょうか。
この先、私もついに義母と同じように「姑」という存在になりそうです。
人の振り見てなんとやら、絶対に義母のようになりたくありません。
でも、先のことなどどうなるかわかりません。
感性というか、感じ方の違いがすれ違いになることだってあるでしょう。
正直に言えば、息子のことはなんでも知りたいし、いつでも些細なことでも報告を受けたいと思う私がいます。
でもこれからは一線を引かなくてはならない、肝に銘じて距離感を保ちつつ同じ轍を踏まないよう気をつけるつもりです。

にほんブログ村
にほんブログ村
にほんブログ村
PR
人様のブログを見て思うことは、やっぱり人それぞれ百人百様だなと。
当たり前ですけど。
血の繋がった仲の良い親子でさえも喧嘩しないなんてことはありえないでしょうし、親友と呼べる友人でも近すぎれば違和感を感じることもあるのではないかと思います。
愚痴ばかりで暗いこのブログ、じれったい思いの方も多いと思います。
私自身が人様のブログでもどかしさを感じるように...
自分のことを棚に上げて思うこと、「もっとこうすればいいのに」「それは違う気がする」
それは小さな部分を抜き取った限られた文面から強調されたことから感じる、いわば私の勝手な感想です。
本当はもっと奥深く、様々な取り巻き、環境、その場にいる当事者にしかわからないものだと思いながらも。だから?、いろんな思いでコメント欄を閉じてる方もいらっしゃいますね。
私はといえば、自分とは少し違う視点からのコメントは励みになったり、気付きになったり、そしてある時は重くなったり、そんな刺激を求めてるのかもしれません。
私はみなさんからいただくコメントを読むほどに、外の世界を知る思いです。
幽閉されてるわけでもないのに外の世界を知るなんて大げさな表現で笑っちゃいますけど、振り返ると自営で同居の生活は束縛だらけなのです。
殻を破るにはそれなりの覚悟がないとできません。
マザオとの口喧嘩でさえ、義母の目を気にして途中で黙り込むかすすり泣くしか中った弱虫でしたから。
「わかる」「同じ」と言ってくださる方が増えるたびに、同居ってこんなにも心をがんじがらめにさせるものだと今更ながら思います。
自分では随分と図太く、強くなったものだと思っているのですが、やっぱりまだまだ...。
やっと、少しずつ、目に見えないほど遅々とした進み方ですけど、がんじがらめから脱出を試行錯誤している最中です。

にほんブログ村
にほんブログ村
にほんブログ村