大きな家のボロキッチン
別居だったはずなのに! ある日突然の「壁紙選んでね」という義母の言葉に呆然、あれよあれよという間に同居のための改装終了。 卯年生まれの私も義母が雑事から解放された年齢になりました。うさぎが茨の道を脱出できる日はいつ?
いつまで経ってもお金がない生活から抜け出せません。
賃貸契約もうまくいって、こんなはずじゃなかったのになぜでしょうか。
思いがけない出費やちょっとずつの予算オーバー、赤貧から脱したらそれなりの税金も負担です。
お金がない苦しさは嫌という程味わってきました。
特に義父の入院から休業となり、その後はずっと...
十月にあの頃のことを書きはじめ、マザオの骨折で途中のままでした。
今も昔も「同居さえしていなければ」何度そう思ったかわかりません。
同居なんかしてなければ、息子も受験に失敗しなかったかもしれない,,,
私立高校へ進んだ息子の学費が重くのしかかりました。
年金で自由に使えるお金がある義父母と違って、
休業の挙句に滞納ばかり、督促の嵐の真っ只中にいた私たちは差し押さえの予告までも何度か受ける羽目になりました。
それでも私の頭の中では、最後の最後は保険金という形で返ってくるはずという目算がありました。
借金を減らすまではいかなくとも、解約した息子の学資保険や払いたくても払えない滞納の数々、それらは清算出来るであろうと考えていました。
結果的には目算通りと言っていいかもしれません。
でも...
長男マザオは不動産を相続するのだから、残りは小姑と義母で分けるという結論でした。
少しでも借金を減らしたい私の打算など言えるわけもなく、爪に火を灯すようにして積み立てた学資保険の弁済をなぜかお礼を言って受け取ったのです。
あとは借金返済ではなく、滞納金を収め、お寺関係の費用などを取り置いて...
一切合切、分け切ったのでした。
十万円くらいなら?いいえ、私たちには一万円の現金も残されませんでした。
不動産を相続したから。
不動産って、生活のための借金だらけの店と自分たちはアパート以下スペースしかないのこの家だけですけどね。

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請求書や督促状の来ない日はなく、支払いのことで頭はいっぱいでした。
商売屋の仕入れは、現金払いのケースは少なくて伝票の受け渡しで月ごとにまとめて支払うのです。
請求書が来てから月末か翌月か、それぞれにパターンがあり、休業したからといって支払いがなくなるわけではありません。翌々月までそれまで仕入れたものの支払いがあるのです。
それに会社の維持費が付いてまわります。
保険、通信費、組合費、設備投資した際のローン、会計士さんへの支払い、それに光熱費も契約してる限りゼロにはなりません。
サラリーマン家庭に育った私には金額の単位も違う大きなお金がぐるぐる回っているところに亀裂が入ればひとたまりもないのです。
ついに、絶対に守ると決めていた息子の学資保険を解約することになりました。
どうにもならなかったのです。
その時はその時、教育ローンで借りればいいと自分に言い聞かせました。
私にとって大切な大金、学資保険の解約金は一瞬でなくなってしまいました。
あれもこれも払うところだらけだったのです。
数年前に全面改修した店のリフォームのローンが痛すぎました。住宅ローンも終わっておらず、双方合わせたら目眩がしそうな金額でしたから。
焼け石に水
実家のピンチを援護する大金を差し出したのは事務員をしていた小姑です。
定期預金の証書を見て驚きました。
学資保険の三倍の金額が印字されていたのです。
なぜこんな大金が...
事務員時代からの貯金と義父の年金を貯めて定期にしたというのです。
義父の年金手帳を預かるといって娘(小姑)が管理していたらしいのです。後から聞いた話では取り上げられたと言ってましたが。
ちなみに義母の年金は本人が自由に使っていたようです。
それだけでも二人の小遣いとして十分だろう、義父の年金まで義母が使い果たさないように預かっていたというのが小姑の言い分でした。
結果、助かったわけですが、元々は店のお金が大半...
なぜお礼を言わなければいけないの?
なぜドヤ顔されなければいけないの?
お金をめぐった問題はどんどん出てきました。

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