大きな家のボロキッチン
別居だったはずなのに! ある日突然の「壁紙選んでね」という義母の言葉に呆然、あれよあれよという間に同居のための改装終了。 卯年生まれの私も義母が雑事から解放された年齢になりました。うさぎが茨の道を脱出できる日はいつ?
昨日の記事で、「洗濯物の続き」のリンク先が間違っていました。
今更ですが直しておきました。
おっちょこちょいですみません。
やっと、続きです。
自分でもどこまで書いたか忘れてしまいました。
途中まで読んで、「私の洗濯機は外」のくだりで笑っちゃいました。
だって、洗濯機は外で、ついこの前まで洗濯物は室内干しだったのですから。
普通の家は、洗濯機が室内で洗濯物は外ですよね。
そう思うと、ついこの前まで自分でも信じられない生活をしてたんだなあとしみじみ思います。
二、三日前に庭の雑草と格闘していたら、近所のおばあさんから「少しは楽になったかえ?」と声をかけられました。店をやっていた頃の私を毎日見て「あのままじゃ過労死しないか心配してた」と言われました。
あの頃、どうして耐えられたのか、どうやって乗り越えたのか...
ボロキッチンの横をすり抜け、すなわち私たちの部屋を通り抜け、ボロキッチンの勝手口から、私の親がお金を出して作った雨避けの干し場を使う厚かましさ!
許した私もバカですが、最初の遠慮がちからだんだんとエスカレートしていきました。
部屋のノックもおざなりで(元々義母はノックと同時にドアを開ける無神経さでしたが)、廊下で声がしたなと思うとドアが開いて勝手にズカズカ入ってくるようになりました。
通らせてねーみたいなことを言いながら、こちらの返事を待たずのお構い無しです。すごく嫌でした。
そのうち、雨が続くと大量の洗濯物を干しまくって占拠してしまうことも度々になりました。
小姑らが嫁に行くと洗濯物を干したことを忘れてしまうのか、それともいつものズボラさなのか、何日も何日も占拠しっぱなしにされました。
私の親がお金を出して作った場所なのに私たちの洗濯物を干しところはなく、狭いボロキッチンの部屋中に洗濯物がぶら下がることになりました。
おまけに義母の洗濯物が大量に干されたスペースの一番奥に洗濯機があるので、腰をかがめて行き来しなければなりませんでした。
腹が立ったので腰をかがめず洗濯物に突撃してやったことがありますが、自分の顔や頭に義母の衣類が当たって気色悪いことこの上なく、即刻やめました。
何年もこんな状態を我慢していたのですが、ある時、空き巣が出没してこのあたりも被害に遭ったお宅があるから注意するようにと回覧板がきたのです。
部屋のドアに小さな留め金をつけました。鍵というにはあまりにも粗末な知恵の輪のような代物で自分が外にいる時は全くの役立たずです。
それでもノックと同時に入れなくなったこと、頻繁に私が息を潜めて居留守を使ったこと、マザオが勝手に入るなと口を酸っぱくして言ったこと、いろんなことが絡み合い長い年月を要して、ようやく義母にこのドアから向こうは自分の家ではないと理解できた?ようです。
同時に裏庭から入るドアも四六時中、鍵をかけました。
当時、まだ健在だった義父が防犯上よくないから鍵を閉めるよう言ったからです。
これ幸いでした。
ドアノブをガチャガチャさせて裏庭から入ろうとする義母を部屋の中からバーカ!と眺めていたこと幾度。
文句を言っても、義父が鍵を閉めるように言ったんだから仕方ありません。
ボロキッチンと同時に誕生した雨避けのスペース、やっと取り戻すことができたのは数年前のことなのです。

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ただでさえ鬱陶しい季節です。
天気が悪いと洗濯物は悩みの種です。息子たちが自立した今はマザオと二人分と少ない洗濯物になりましたが、それでもやっぱり部屋干しはすっきりしません。
ボロキッチン設置の改装時に波板で囲った洗濯機置き場も作りました。
以前にも書きましたが、私の洗濯機は外です。
洗濯機が置かれてる場所は家の壁と物置の壁の上を波板で覆い、扉に鍵もつけてあります。これを外というか内というかは微妙ですが。
ボロキッチンが出来て、まず義家族の洗濯から解放されました。
ところが雨もようになると、この洗濯機置き場の干しスペースに義家族の洗濯物が干されたのです。それも、ボロキッチンを通って、ボロキッチン横の勝手口から。
この雨避けの洗濯物干し場は玄関から回り込んで来ることもできました。
でも、玄関からだと雨に当たってしまうからでしょうか。勝手に私たちの部屋へ入りボロキッチン横を通過してそこへ洗濯物をぶら下げていたのです。
そもそも、ここのスペースは実家の親がお金を出して作ったところで、私の洗濯機置き場であり、私の洗濯物干し場なのに。
勝手口に置いてあるサンダルだって私のものです!
この改装をした時、息子たちの自転車が置けるように家の北側にも雨避けスペースを作りました。
こちらは義母のキッチンの勝手口からすぐに入れるので、そこへ物干し竿も用意したのです。ところがそちらを使わず、わざわざ私の方へ洗濯物をぶら下げる根性が理解できませんでした。
義母の勝手口は物でいっぱいで狭く、太った義母が洗濯物を持って出るのが大変だったから私の方へ来たんだと考えられますが。
当時の私はダメだとはっきり言うことができませんでした。
ボロキッチンが出来てまず朝食が別になり、洗濯物が半減し、夢のような生活に感じてしまったからでした。それに、まだまだ、義母と小姑らにやり込められるのが怖かった...
最初は、義母たちも遠慮が地だったものがそのうち堂々と、エスカレートして行ったのでした。
時間が来たので、続きは次回へ。

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