大きな家のボロキッチン
別居だったはずなのに! ある日突然の「壁紙選んでね」という義母の言葉に呆然、あれよあれよという間に同居のための改装終了。 卯年生まれの私も義母が雑事から解放された年齢になりました。うさぎが茨の道を脱出できる日はいつ?
職場の仲間で花見に行こうと盛り上がりました。
盛り上がったけど、同日に皆は休めない現実にトーンダウンです。
普通列車が好きでした。
この時期もそうですが、青春18きっぷという普通列車に乗り放題の切符が年に三回の発売期間があります。
あてもなく電車に乗って、見知らぬ土地へ向かう時間が好きでした。
自分の居場所がなかったからかもしれません。
口ほどに電車に乗ったこともないのですが、地図を眺めて旅行気分になるのが私のストレス解消のひとつでした。
電車でひとつ思い出しました。
次男が中学生の時のことです。
英検を受けるために少々遠くの会場まで行かねばなりませんでした。
学校で受けられる級を超えると居住地域では受けられなかったのです。
当日は私が店を休んで送り迎えをする予定でした。
ところが、その前夜になって義母がどうしても外せない用事が出来たから代わりに店へ出て欲しいと言い出したのです。
冗談じゃない!と思いましたが、結局は送ってすぐにとんぼ返りで店に入り、次男は自力で帰ってくることになりました。
都会の子は小学生でも電車通学をしていますけど、この辺りは中学生になって初めて子供だけで電車に乗るという子も少なくありません。うちの次男がまさにそういう子でした。
切符の買い方も知ってるのか怪しいくらいの..。
会場へ送り届け、店まであと少しというところに来て、ふと次男は財布を持ってたかなという疑問が湧き出て居ても立ってもいられなくなりました。
続きます。

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義母のお節介に腹を立てながら、センター試験解答の新聞を引き裂いて、丸めて、生ゴミ入れの奥底へ突っ込んだ時も激しい動悸がして自分ではどうにも出来ませんでした。
足切りにはならないだろうから死ぬ気で二次試験に挑んだらどうか、それが予備校講師の意見でした。でも、出願した併願私大はたったの一校で、ここに合格しなければ二浪を覚悟しなければなりませんでした。
当の本人はあまりのことに放心状態で、「受かる気がしない」とつぶやくばかり。
私も同感でした。
それでも数日後には立ち直ったかのように見えた長男、あっさり出願先を変更しました。
え、そこ?
私の方が未練を断ち切れず、あれこれ大学名を出して提案しましたが、確実に合格できるだろうところに出願するときっぱりと断られたのです。
息子なりに考えた末の結論だったと思うのですが、私はどうしても「お金がないから選択肢を狭めてる」という考えになってしまい、やり場のない気持ちを持て余しました。
能力や努力の前に環境が最悪..。
悶々とした期間が過ぎた二月某日、その私大の合格発表に息子の受験番号がありました。
もう国立でなくていいよ!
翌日には下宿先を決めに東京行きの新幹線に乗ってました。
全財産を握りしめて。
あの時、勇気を振り絞って第一志望を受けていたら合格がもらえたかもしれない。
私の中ではいつまでもくすぶっています。たとえ、終わりよければすべて良しであったとしても。
息子は頑張って企業からの奨学金を頂くことができたので、私たち親の負担は少なくて済みました。それでも三百万あまりの奨学金を返済中です。

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