大きな家のボロキッチン
別居だったはずなのに! ある日突然の「壁紙選んでね」という義母の言葉に呆然、あれよあれよという間に同居のための改装終了。 卯年生まれの私も義母が雑事から解放された年齢になりました。うさぎが茨の道を脱出できる日はいつ?
太陽光パネルの調子が悪くて設置会社へ問い合わせをしました。
すぐに点検に来てくれて、パネルと機器自体は問題ありませんでした。
原因は、憶測ですが、電線の工事があった時に停電したまま起動しなかったのではないかという結論に落ち着きました。
普通は自動復帰するんですけど、日が暮れていたり天候の加減で機器が復帰に至らず止まったままになってしまうことがあるそうです。
実は設置会社の大元の会社に小姑がいたのです。
ライフラインを扱う会社なのでガスも扱います。
小姑はガス部門にいました。
実家が新築をする時の話です。
かれこれ二十年近く前の話です。
実家が新築をするにあたり、ガス会社はどこにするのかとしつこく問いただす奴がいました。
事務員小姑です。
自分が勤めているわけでもないのに「顔を立てて」とかなんとか..
実家といえど私が口を出す権利などないし、あいつらがいつも言ってる「こっちの人間」なんだから首突っ込むな!と言いたいところです。
オール電化かもしれない
適当にごまかしていましたが、日々の追求もしつこいし嘘がバレた時の恐怖も手伝って「聞いてみるね」と返事をしました。
あのシーンは今もって鮮明に覚えています。
「聞いてみるね」
曖昧で結果のわからない返事でその場を取り繕ったのですから。
何を早合点したのか、勝手にガスを引くと決め込んだ事務員小姑は動き出したのでしょうか。
この辺りの詳細は知りません。
当のお勤め人小姑だって何にも言いませんでした。
ある日、事務員小姑がどうなってるのか聞いてきたので、私は思い切って言いました。
「実家にも付き合いがあるみたいでガス会社は決まってるみたい。」
突如、烈火のごとく怒り狂った事務員小姑。
今度は顔をつぶされたとか喚き始めました。
震え上がった私は、「お願いするなんて言ってないし、聞いてみるねって答えたよね?」そんな風に反論するのが精一杯。
ものすごい剣幕に当事者であるはずの勤め人の小姑も「ノルマじゃないから。」と言ったのですが鎮火の気配なく、とうとうだんまりを決め込みました。
そして、とうとう義母が出てきました。
はっきり言わない私が悪いそうです。
はあ?
「聞いてみる」が契約につながる答えですか。
三対一です。
水掛け論に決着がつくわけもなく、この時もやり込められ、部屋で泣き、トイレもままならない生活へ突入したのでした。
小学校から国語やり直して来い!
バカどもが!!

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今でこそ、人前式っていうんですか、式に参加した人たちが証人になる形式にとらわれない結婚式を望む方も多いみたいですね。
ガーデンウェディングとか、レストランウェディングなんていうのも、かつては聞き慣れない形式でした。あったのかもしれないけど、私が住んでる地方で結婚式といえばホテルや式場が主流の時代だったんです。
あまりにも屈辱的だったんで思い出したくない結婚式です。
あまり人に話したこともないし、写真を見返すようなこともありません。
この歳になれば、結婚式の話なんて我がこととは関係ない感じなんですけどね。
ここには、全国区ではありませんが比較的有名で大きな神社があります。
結婚式はこの神社で完全和風の古式豊かな形式でやりたい、若い私はずっとそう思ってました。
義母の鶴の一声ですね、「神様が違うからその神社でお式は挙げられらない。」
一生に一度の晴れやかな主役の座はこの一言で崩れ去りました。
同居に誘導された時点から、もっともっと私自身が考えなければいけなかったのかもしれません。
心の片隅にちらりとかすめた「結婚するのやめた方が..」
当時の私には後戻りなど出来ませんでした。
式場はマザオの家でした。
今の家でなくマザオが幼少の頃に建てた普通の昭和チックな家。
義父が神主ごときを務め、途中で義母が素っ頓狂な声を上げながら祝詞?を
あー、思い出したくもない!!
その後、料亭へ移動し、時代劇に出てくるような披露宴もどきを執り行いました。
私は結構大きな会社を寿退社したわけですが、慣習にならって上司や同僚を結婚式へ呼ぶことも出来ませんでした。
新郎側が自営業で呼ぶ人がいないから。
引き出物も何もかもが思い出したくない結婚式でしたが、打ち掛けだけは知人のおかげでとても素敵なものを借りることができました。
でも、この三十年間、写真を出して見たことも、親族以外に見せたことも、むろん飾ったこともありません。

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