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大きな家のボロキッチン

別居だったはずなのに! ある日突然の「壁紙選んでね」という義母の言葉に呆然、あれよあれよという間に同居のための改装終了。 卯年生まれの私も義母が雑事から解放された年齢になりました。うさぎが茨の道を脱出できる日はいつ?

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義父亡き後、借金だらけの店と自宅は名実ともにマザオのものになりました。
いざという時に貯金がない困惑を何も学ばない義母は、とにかく一生懸命やってくれた娘に恩返ししたいと主張し、長男であるマザオは不動産を継ぐのだから現金は置いておく必要はないと言い切ったのでした。

昔の好景気時代はいざ知らず、不況で店は自転車操業状態なのに、多額の借金は毎月利息だけを払う元金が全く減らない状態でそのまま、それでも現金は全額小姑らへと渡されてしまいました。

お金のことは関わりたくない気持ちと、こんなに困窮してるのに何の配慮もない悲しさと、どうにもならない悔しさ...











息子の校納金にも困り、最後には手紙までもらってしまい、小銭をかき集めて学校の事務所まで持って行ったのもこの時でした。

息子には絶対に店なんか継がせない、まだ働けるうちに店をやめて貧乏から脱却する!
漠然と考えていた私の秘めたる想いを強く決心したのもこの時期です。

マザオは先々のことを考えて、今後一切の口出しをさせないためにも今は我慢して義母らの主張を飲んだほうがいいと考えてました。当時の私は全面的に賛成できたわけでもなかったのですが、今思うと正解だったかなと思ってます。
そして、義母の葬式代だけは残したいと主張したのです。

「縁起でもないこと言わないで!」
義母が金切り声をあげたことははっきり覚えています。
人はいつか死ぬのに、まったく現実を見ることのできないババアです。

幸いなことに小姑がマザオの提案に同意して、葬式代として終身保険の証書を用意してくれたのでした。

月日が経つにつれて店の経営がどんどん苦しくなり、義母への給料を支払えなくなり、店が持っていた交際費など自分の年金の中でやりくりしてもらうよう生活も変わっていきました。

金遣いの荒い義母はやりくりができなかったのでしょうね。縁起でもないと怒った葬式のために用意された保険の存在を義母は知らないはずだったのに、証書を寄越せといってきたのです。
解約して現金にするつもりだったのでしょうか。

証書は渡せないというと「葬式なんかあげなくていい!」とほざいたのです。
もちろん、そんなこと言われたところで渡せるわけがありません。

お葬式をあげずに世間からとやかく言われるのは息子であるマザオだと、孫である息子らにもどれだけ迷惑がかかるか、自分の都合だけで身勝手な主張をされて困るのは私達だとはっきり言い返しました。

何にそんなお金が必要だったのか知りませんけど、娘である小姑にお金がないと訴えたのでした。

「お母さんにちゃんとお給料をあげて!」
携帯電話に出た私にいきなり怒鳴りつけてきた小姑でした。
店の自転車操業状態、どうにもならない家計を説明するも、興奮した小姑は怖いの一言でした。

義父亡き後は生活も一変し、マザオも私も店中心の生活となりました。多額の借金を押し付けられて、とにかく返済しなければ進めないと、自らの給料を削ってまで返済中心の暮らしに変えてきました。

自由になるお金が欲しいからと保険解約までしようとし、それを拒否されると娘に借金まで頼み込む義母、もう常識では付き合えない人です。

私の将来の展望は道半ばですが、とりあえず店をやめ、借金返済も少しずつですが進んでいます。
今は最終目標に向かって、絶対に願いを達成する!そんな気持ちで頑張っています。
へこんだり、後戻りの気持ちになることも多々あるけれど。

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