大きな家のボロキッチン
別居だったはずなのに! ある日突然の「壁紙選んでね」という義母の言葉に呆然、あれよあれよという間に同居のための改装終了。 卯年生まれの私も義母が雑事から解放された年齢になりました。うさぎが茨の道を脱出できる日はいつ?
尻切れとんぼになってしまってすみません。
1. お姫様の次に捨てたもの
2. 途方に暮れた
続きです。
ひとしきり泣いたあと、人数分のお弁当を買って帰りました。
行くあてもなく、帰りたくなくても帰るしかなかったんです。
実家へ行って実情を訴えることなど到底出来ませんでした。
意地っ張りなバカです。でも、余命いくばくもない父親に心配をかけさせたくなかったんです。看病と家計を支えるために必死で働いてる母親にそれ以上の負担をかけたくなかったんです。
巻き添えをくった幼い長男は長い時間、車のベビーチェアに座らされたままでもぐずることなくおとなしくしていました。それがまた私の背中を押しました。
赤くなった目を何度もこすってから、車のエンジンを掛けました。
玄関の鍵をあけるまでどれほどの時間が掛かったでしょうか。しばらくは車から降りれませんでした。
家出用の荷物は車中に残し長男を抱っこして、お弁当だけを持って立ち上がりました。
バックミラーで確認した目はまだ赤く泣き顔のままでした。
そっと玄関をあけ、無言のまま滑り込むように自室へ逃げ込みました。
ほぼ同時にノック、そして同時にドアが開きました。
昔からノックと同時に勝手にドアを開ける義母です。
確か、「おかえり」といつになく優しく言われたように記憶しています。
続けて、「おもちゃの置き場所はまた考えましょうね。ごめんね。」だったかな。珍しくかなり下手でした。
義母が怒ってないことに安堵した私は無言でお弁当を渡しました。何かを言葉にしたらまた泣きそうだったからです。
「あら、買って来てくれたの、ありがとう。」
さすがの義母も今回の仕打ちは実家に告げ口されたら困ると思ったのかもしれません。ですが、私の脳内はすでに恐怖支配されてますから、義母の優しい言葉に今度ばかりは味方かもしれないなどと間違った解釈で心を許してしまいました。
戻って来て正解だったなどと考えた私は大バカです。
翌日、自分でベッドを分解してリサイクルセンターへ捨てに行きました。
嫁入り道具がまたひとつなくなりました。
今の私ならどんな反撃をしたでしょうか。
これから仕返しをたっぷりさせていただく予定です!

にほんブログ村
にほんブログ村
にほんブログ村
PR
幼かった長男は投げ込まれたおもちゃの意味したところがわからなかったようでした。
ベッドの上にもいくつかのおもちゃが投げ置かれていましたが、それを使って遊び出しました。
堪えきれずに嗚咽が漏れました。
涙がとまりませんでした。
小姑がヒステリーを起こしたようでした。
あの頃は特に、わけもなく怒り出すと手が付けられないときがあった小姑です。
結婚出来ない焦りなのか、普通に就職出来ずに家の仕事をする形で年中家の中にいたせいか、独裁者のような振る舞いでした。
義母でさえ娘(小姑)の言いなりで、みんな腫れ物に触れるような扱いでした。
行くあても無いのに、家を出るための支度をしようとバッグを取り出して片っ端から詰めはじめました。
けれど、途中で人の気配がして怖くて廊下へ出られません。
しばらく長男を抱きしめていたら二人とも寝てしまい、気がついたら夕方でした。
夕飯の準備もしなければいけないのに、洗濯物も取り寄せてないし...。
こんな状況でもまだ家政婦業をまっとうしようとするバカな私はうろたえ、またもや動悸で胸が苦しくなったのでした。
途方に暮れつつも、廊下の気配が静かです。持てるだけの荷物を持って子供をおぶってそっと外へ出ました。
本当はもう一度荷物を取りに行きたかったけど、もし鉢合わせしたらと思うと足がすくんで動けませんでした。とりあえずは車の中へ避難出来たわけですからそのまま出発することにしました。
子供をおぶったまま運転して、ここなら会う事も無いだろうという場所まで行ってからおぶい紐を外しました。事故にでも遭ったら取り返しがつかないのに、なにもかもが母親失格です。
実父は余命宣告を受けていて闘病生活を送っていました。当時は実家も大変な状況だったんです。私の帰る場所はありませんでした。
行く当てもなく、ぐるぐるぐるぐる行っては返し、走り続けました。
少し遠いスーパーの駐車場の片隅でまた泣きました。
すみません。
途中ですが、出勤時間ですので行ってきます。

にほんブログ村
にほんブログ村
にほんブログ村